【ダシマス老舗・EXCERA】日本のモノづくりを支える、会津目線の真面目な気質

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written by ダシマス編集部

創業30年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。

今回、取材するのは、会津にて精密機械の設計や精密部品加工(単品)などを通して、モノづくりを続けてきた株式会社EXCERA代表取締役の五十嵐 宏司(いがらし ひろし)さん。

五十嵐さんは未経験で会津放電工作所(現:株式会社EXCERA)に入社され、その後代表取締役に就任、EXCERAは現在創業44年を迎えました。会社はこれまで東日本大震災やコロナ感染症、業界の変化などの危機的な状況に直面しつつも、時代に合った技術を取り入れながら乗り越えてきました。その姿勢や気質について、五十嵐さんにお話を伺いました。

執筆:井崎 まゆ

執筆:井崎 まゆ

フリーライター。文系大学院を卒業後、アニメ系専門学校で声優を育てる仕事を経験。転職エージェントに転職しキャリアアドバイザーに従事。現在はフリーランスとしてライター、キャリアコーチなどに取り組む。国家資格キャリアコンサルタント。

きっかけは青白い火花ーー放電加工からセラミック導入への変化

 

ーーまず、株式会社EXCERAに入社された経緯を教えてください。

昭和60年に新卒20歳で入社しました。当時は会津放電工作所という名前で、主に放電加工という金属加工をしている会社でした。放電加工は、液体のなかで電気による火花を起こし、その熱で金属を溶かして銅で造った形状とワーク(金属)に転写する加工方法です。

実は学校を卒業するまで、放電加工のことは全く知りませんでした。高校で情報処理科に通っていたので、進学して電子専門学校情報科学科に入ったんです。進路としてはシステムエンジニアになったり、IT業界へ就職するような学科でした。ただ当時、会津地方にはエンジニアを必要とするような企業はなく東京へ行くしかなかったのですが、長男ということで地元会津での就職となりました。

そんななか会津放電工作所に企業説明を聞きに行ったとき、実際に放電加工を見せてもらいました。コンピュータ制御で動く機械にコードを入力し、動きを機械にプログラムして放電をする。そうすると、特殊な加工液にひたした金属が、バチバチと発生した青白い火花によって加工されていくのです。放電の力を利用して金属が彫り込まれていく様子を見て、すごく不思議に思いました。金属に触れてないのに、指定した形どおりに転写されていく。初めて見た現象に興味が湧いて、それでこの仕事をやってみたいと思ったんです。ただ全くわからない分野なので、創設者でもある当時の社長に「仕事内容はよくわからないが、私でもできますか」と伝えたところ、「むしろ何もわからない方がいい。1から教えるので問題ない」と言われまして、入社することにしました。

 

ーー放電加工についてもう少し詳しく教えてください。

放電加工は、実際に加工するものとツールが接触せず、非接触加工で落雷の原理を応用した技術です。通電する素材であれば使えますし、かなり硬い素材の加工もできます。金属加工はマシニングセンタという機械で加工することが多いのですが、刃物よりも硬い素材は加工できません。そんな硬い素材でも、放電加工だったら加工できるのがメリットですね。

あと金属を掘り込む加工で内角を尖った角にしたいときは、綺麗な90度の角をつくれます。ほかの刃物を回転させての加工方法だと、どうしても角が丸くなってしまうんですよ。

 

ーー今も貴社は放電加工が中心なのでしょうか。

以前は放電加工を主体にしていましたが、時代とともに内容が少しずつ変化してきました。放電加工自体は、今でもモールド型というプラスチック製品をつくるための、金型の製作などに活用されていますが、だんだんと金型用の部品だけではなく、金型一式を手がける方向に変わっていったんです。また、日本のものづくり自体も、より高精度化を求めるようになりました。

そこで主要取引先の機械メーカー社長が着目したのが、工業用セラミックという素材です。機械の精度を落とす要因として熱膨張が挙げられますが、セラミックは熱膨張に強い特性があり、これを小さくすることができる。また、電気を絶縁する性能もあるので、放電加工機にはうってつけの素材でした。このセラミック開発を弊社の創設者が実現しました。機械にセラミックをふんだんに取り入れることで、格段に機械の精度を上げることができたんです。

こういった経緯から、会社の柱が一つできたので社名を会津放電工作所から、現在の株式会社EXCERAへ変更することに。Eは放電加工機=エレクトリックディスチャージマシン(EDM)の意味で、Xはスタッフ=人間の可能性は未知数を意味します。あとのCERAはセラミックのCERAから取り、EXCERAという造語を当時の社長が考えました。

 

大震災とコロナを乗り越えた、変化を柔軟に受け入れる社風

 

ーー会社がこれまで直面した苦難はありますか。

これまで苦難の連続だったと思います。まず、金型成形でのプラスチック製品の大量生産は、人件費の安いアジアの海外工場にシフトする流れがありました。これに対して、会社を続けていく上で部品加工だけでなく、加工機に使われるユニットごと手がける方向を目指しました。ユニットの設計、部品加工から組み立て、精度検査までを行い、取引先の海外工場に提供することにしたんです。

そんななかで起こったのが東日本大震災でした。そのとき私は取引先の中国工場に勤務していて、日本で組み立てたものを荷受けすることになっていたのですが、放射能のイメージが強かったために受け取りができなくなって。ラインが止まる大きな危機が起きました。

こうした経緯をふまえ、取引先ではリスク分散について再考することになりました。日本から海外へ提供するパターンだと、情勢に左右される可能性がある。このリスクを回避するため、弊社でやっていた4割ぐらいの製品を海外工場にシフトして、海外工場で内製化する方向に変化させる決定がありました。

また、弊社も前向きに捉え、1社依存からの脱却、リスク分散の機会とし、販路を拡大することにしました。10年かけて近県の会社に声をかけ、部品加工などを開拓。工作加工機とは違った分野にも挑戦しようと、自動機など無人化させるような省力のための機械の設計の仕事も受けていきました。設計者を自社で育てて、現在10年目にしてようやく軌道に乗りつつある状況です。

その後、グローバル展開で多くの日本企業が中国市場へ進出する流れができ、自社の製品も売れるのではないかと開拓を進めていきました。そんななかでコロナ感染拡大です。中国政府がゼロコロナ政策を進めたため、市場が動かなくなってしまいました。やっとコロナが明けていよいよ再開と思ったら、今度はロシアとウクライナの紛争が始まり、アメリカが中国に対して関税を高くするということなどで、中国市場がかなり冷え込んでる状態が続いています。こうした昨今の世界情勢からすると、今も苦しい時代といえるかもしれません。

ただ、もともとリスク分散の観点から、小ロットの仕事を多品種扱うようにしてきました。ニッチな需要を取り入れることで、社会の変動があっても受注がゼロにならないようにする工夫が、功を奏したと思います。

 

ーー​​多くの苦難を乗り越えてきたんですね。リスク分散の取り組みなどもされていたことも大きいと思うのですが、厳しい状況を乗り越えられた根本的な要因は何でしょう。

一番は変化に強いことかもしれません。小ロットの仕事を多品種扱っているので、社員は幅広い製品にふれて仕事をするのが普通なんです。新たな仕事を取り入れることにあまりストレスを感じず、すんなり受け入れられる姿勢が自然と身に付いています。そのおかげで、幅広い仕事を受け入れられる体制ができる。それがEXCERAの付加価値にも繋がっていると考えています。

また、社員が仕事を一気通貫でできることも大きな要因です。EXCERAでは仕事を分業制にしていません。各現場のオペレーターは図面、プログラム、加工、完成、測定まで1人でできるようにしています。分業化してしまうと、ひとりでも欠員が出たときに先に進めないということが起きてしまう。弊社の場合は全員が最初から一通りの仕事ができるので、仮に1人が休んだとしても、他の人がカバーできます。このおかげで、コロナの感染拡大の時にも仕事が完全にストップすることはありませんでした。

 

社長が考える、日本のモノづくりを支える真面目な気質

 

ーー社長が仕事において大切にしている価値観は何でしょうか。

日本人としての真面目な気質ですね。日本には昔から何でも極める文化があって、その気質は現代まで続いている。私の感覚で言うと、こんな真面目な姿勢は世界を見ても日本人だけなんじゃないかと考えています。

たとえば、今EV車で中国は世界的にトップだと報道されていますが、現地の方に話を聞くと意外と不具合も多いようで。それでも中国の人件費は上がっているので、部品単価は弊社が提供している価格と変わらない価格になっています。でも、品質は決して同じではなく、日本でつくった方が断然良いものができている。

また、品質管理の手法を他の国で再現しようとしても、現地の人に任せると上手くいかないことはよくあります。一方、日本人が管理するとうまくいく。そこにはやはり、文化や歴史上の気質みたいなものがあると改めて実感します。

特に会津の土地で製造に関わる仕事をしているので、東北ならではの我慢強い気質も持っていると考えています。これほど真面目な人たちがいる地域はないんじゃないかと。こうした気質を軸として、新たな先端加工の仕事を根付かせ、全国で勝負できるような企業になっていけたらと考えています。

 

ーー一緒に働いている社員さんにも、そうした社長の考えは浸透しているのでしょうか。

全体の朝会やホームページを通して共有しています。社員に言葉として伝えているのは「とにかくいろいろやってみよう」ということです。そのために、昔ながらの製造業の厳しさを強いるような風潮は抑えて、精神論だけで頑張るような考え方にならないようにしたいと考えています。

大事なのは、社員の自主的な取り組みが生まれてくる会社環境をどうつくるか。製造業は元々トライアンドエラーの世界です。会社作りもスタッフとの向き合い方も、トライアンドエラーの精神で取り組んでいます。

ホームページ上では会津の人に着目して、その志を「EXCERAeyes(EXCERA会津)」という特集ページを作成して紹介しています。取り上げているのは、会津の偉人である野口英世や、産業の基礎を作った歴史の話です。近代では、300日只見線を写真に撮り続けている方を掲載したりしました。こういった記事は社外の方にも読んでいただけたようで、実際にホームページを見た方が何名か求人に応募してくれました。ホームページがきっかけとなり、自分でもできそうと思ってくれたみたいでうれしかったですね。採用では経験がなくても、モノづくりが好きであれば経験は問わず募集しているので、興味をもってくれる人がいればぜひ問い合わせてほしいと思っています。

 

ーー今後の展望と、読者に向けて一言お願いします。

いつか自社の製品をメーカーとして世の中に出していきたいと考えています。基本は受注型での仕事が多いのですが、自社製品を生み出すことにチャレンジしてきた経緯もあるので、それが主軸になれば理想的ですね。私の夢でもあります。

また、若い人にこの業界の魅力を知ってもらって、もっと活躍してもらいたい。だから、そういう人をEXCERAを通して育てていきたいと考えています。弊社で作った製品は加工メーカーの機械に使われているのですが、何万人も来場する東京ビッグサイトの展示会などを通じて多くの人に知っていただく機会があります。世界中から様々な業界の人たちが来場して、私たちのモノづくりを見てもらえる。その瞬間を味わうのはやりがいにつながるはずです。日本のレベルは高く、世界を牽引しています。会津から、日本のモノづくりを支える素晴らしい仕事を一緒にできたら嬉しいですね。

 

EXCERAについて

・ホームページ:https://www.excera.co.jp/

 

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