次世代のために奮闘する深松様に聞く!日本に必要なコトとは?

レッド

written by 伊藤愛結

深松努(ふかまつつとむ)さん

深松努(ふかまつつとむ)さん

富山県出身。宮城県仙台市に本社を置く株式会社深松組3代目代表。
東日本大震災を経験されており、自身の被災経験と災害時のBCP(事業継続計画)についての講演を全国で行っている。

▼深松さんってこんな方
#”頼まれた講演は絶対に断らない”をモットーに、全国で210回を超える講演を実施
#海外の友人に向けて、仙台のおすすめスポット「定禅寺通りの欅並木」の写真をFacebookで発信
#人生のスローガンは「感謝報恩」

株式会社深松組様は1925年に水力発電建設工事の個人会社として創業を開始して以来、「建設事業を通じて地域社会の繁栄に奉仕する」を一番の社是としてきました。 

その社是には若者や日本の未来のためという熱い想いが隠されているのだとか!
今回は深松様に”次世代のために”という想いを抱いたきっかけや、日本の未来のための具体的な取り組みについて伺いました。 

 

「日本のために」を強く考えさせられたあの日

 

---「若者や日本の未来のため」という熱い想いを抱くきっかけは何でしたか? 

 

東日本大震災の経験が一番大きなきっかけですね。 

震災当日、深松組は藤塚の海岸で築堤工事を行っていて、そこに地震が来たんだよ。

地震が収まった後、大津波警報を耳にしたうちの社員が一目散に内陸の住民たちに向って、「津波が来るから逃げろ」って、声をかけたんだ。

だけど「なに、仙台に津波が来るわけねぇべ」って多くの人が逃げなかった。 

仙台に大津波が来たのは約400年前だから、みんな津波が来るとは思わなかったんだよね。 

結果的にたくさんの人や建物が津波で流されて、沿岸部の土地には何も無くなってしまってね。復興工事に向かう車から何も無くなった土地を見るたびに「なんとか仙台に賑わいを取り戻したい」って思ったんです。
 

あとはやっぱり多くの人に助けられた経験も自分の中で大きかったな。 

アクアイグニスという商業施設の社長をやってる友人がいるんだけど、彼は原発で大変だった福島を突っ切って食料を届けてくれたし、俺達だけじゃなくて女川の人たちにも温かい食事を配ってくれたんだ。 

 

そのあと日本中、世界中から仙台にボランティアが来てくれて、たくさん助けられた。
そこから「感謝報恩」で生きようと心に決めて、「若者のために日本の未来を見据えて、自分に何ができるのか」を考えるようになったね。 

 

未来へ続くための一歩としてのBCP 事業継続計画

 

---未来を見据えて具体的に取り組んでいることはありますか? 

 

まずは仙台市を盛り上げるために、アクアイグニスを仙台に誘致しました。復興が終わる頃になると景気も悪くなってきたし、仙台市も震災後人が住めなくなってしまった土地を利活用してくれる人を探していてね。 

そこで俺が手を挙げて、その土地にアクアイグニス仙台を建てることにしたんだ。 

 

だけど深松組だけが良くなってもダメだって思ってたから、近隣のほかの事業者の方々と連携してイベントを企画したり、コロナ禍の今ではリストラされて困ってる飲食関係の人を雇う地域雇用を計画したり、エリア全体で盛り上げようとしてるところなんだよね。 

 

その他にも、仙台という地域社会が持続するために、色んな取り組みを考えているんですよ。
例えばアクアイグニス内の飲食店では地元の食材を使ったり、温泉棟では地中熱や排水熱、排気熱などを回収し、温泉の加熱や施設の温度調整に活用することで、エネルギーの効率化を実現できる東北で初めて地産地消の省エネ設備システムを導入したりね。 

 

アクアイグニス仙台はもうすぐ完成する予定だから、仙台市を盛り上げるためにもコロナが落ち着いたら、ぜひ訪れてほしいな。 

 

---こうした取り組みの中で、意識していることは?


 

未来へ続くためにはどうしたらいいかというのを意識していますね。 

俺が今震災経験の講演を行っているのも、未来へ続くようにしていくための一つの方法なんだよ。 

 

例えば工場が1拠点だった場合、地震でその拠点が無くなってしまうと、製品の製造ができなくなってしまうでしょ。 

日本は災害大国だからBCP(事業継続計画)の考え方の一つである「各地に拠点を持つことで、 事業を継続できる体制」というのが必要になってくるんだよ。
 

こう考えるようになったのもやっぱり震災の経験が大きくて、うちは建設業だから震災以降、各地から依頼が殺到していたんだけど、満足に材料も手に入らない状況で困ったんだよね。それでも営業には「お客様からの依頼は絶対断っちゃだめだよ。必ず行きますから待っててくださいってお客様に伝えてね」って言ってたんだよ。 

 

でもそうは言ってもうちも結構大変だったから、BCPの考え方を広めていけば材料もすぐに手に入って、もっと多くの困った人たちのところにすぐに駆けつけられると思ってさ。 

 

震災では日本中に助けてもらったのもあるから、恩返しの一環として、自身の震災経験と合わせてBCPについての全国講演を行い、この考えを広めていこうとしているんだよ。 

 

日本の未来のために考えていること

 

---これからの日本にはBCP以外に必要なことはありますか? 

 

持続可能な社会作り(SDGs)や再生エネルギーへの取り組みが必要だと思っています。
日本は今まで人口増社会しか経験したことがないから、これからの人口減社会は誰も経験したことがない初めてのことばかりだからね。 

 

あとは何と言っても次の世代である若者のため
正直俺はこれしか考えていないんだ。次の世代はどうしても少ない人口で日本を守っていかなくちゃならない。
 

だからこそ今世界が注目している再生エネルギーやSDGsに取り組んでいかないと、炭素税とかをたくさん取られていってしまって、世界に対抗できないまま日本が置いていかれる可能性があるからね。 

 

---持続可能な社会作りのために深松組が取り組んでいることはありますか? 

 

今建設を行っている富山の小水力発電だね。 

富山にある俺の出身の集落は水道管が老朽化してるにも関わらず、105世帯しか住んでいない限界集落だから修理費を捻出できずに困っていたんだよ。 

そこで深松組がその集落にある笹川を利用して、水力発電所を作って水道の修理費を賄おうって話になったんだ。 

 

電力は国が20年間買ってくれるし、発電事業を信託することにより、うちの会社がもし倒産したとしても、倒産隔離機能により事業スキームは保全されるでしょ。
そうすることで住民の費用負担無く、20年間安心して水道を使用できる、そういう仕組みを作り上げたことになるんだよね。 

 

住民の方からは喜ばれるし、大学の先生にも「全世界が深松さんが富山で実現した持続可能な世界を目指しているんだよ」って言ってもらえてね。

水力発電は深松組の事業ルーツでもあるから、深松組の社是である「建設事業を通じて地域社会の繁栄に奉仕する」を実現していることにもなる。 

 

こうした地域の特性をうまく使えるのも、その地域の良さを知っているからなんだよね。地域の良さを利用して地域が元気になれば、今回の水力発電所の件みたいな地域を持続するための設備投資にも繋がっていくと思うんだ。 

 

---再生可能エネルギーについてはどんなことに取り組んでいますか? 

 

太陽光発電パネルを再利用するためのペロブスカイト太陽電池の開発を行ってるよ。
太陽光パネルの寿命が来るたびに廃棄してしまうと、太陽光パネルには重金属が使われているからもろに環境破壊になってしまうんだよね。 

これは日本だけじゃなくて、全世界でも問題になっていることなんだよ。 

 

深松組ではその問題を解決すべくグループ会社と共同で、太陽光パネルの上にフィルムを張るだけで、太陽光パネルを再利用できる仕組みを開発している途中だよ。 

この技術で日本がトップを切れれば、全世界からその技術を教えてほしいと言われる大きな存在になると思っていて、これは今後の日本の未来の姿だと思うんだ。 

 

 

日本の未来の姿は技術を売っていくこと

 

---深松様が考えられている日本の未来の姿について、もう少し詳しく教えてください。 

 

技術特許をたくさん取って、全世界が日本のファンになるのが日本の未来の姿だと思う。 日本は今後人口も少なくなっていくし、国の面積もそんなに大きくないからそもそも資源自体が少ないんだよね。 

 

この日本と似ている状況なのが、砂漠に囲まれて色々な国から追われた歴史があるイスラエル。イスラエルでは技術特許がGDPの半分を占めているので、日本もこうした技術特許で生きていく道を選ぶのが賢明だと思うんだ。 

 

それには基礎研究が必要だから、深松組では研究を行う大学に寄付などを行って支援しています。 

日本は昔から古いものを長く使う文化だったので、新しい技術を生み出すのはどっちかというと苦手分野だと思うんだけど、日本を支えるためにはこうしたたくさんの技術を開発し、柱としていく必要があると思っているよ。 

柱があればあるほど、どれかがいつか日本を支えてくれるからね。 

 

そう思うようになったのも俺の実体験が元になっているんだ。
ちょうど俺が社長になったのはリーマンショックの年でね。

政権交代によって建設業公共事業の予算が下がって、どこの企業もリストラを始めた大変な時期でさ。 

それでも会社の雇用を守れたのは、土木と建築、不動産賃貸の3本の柱があったからなんだ。 

 

それからはいざという時にたくさんの柱を作っておこうと決意して、再生可能エネルギー事業、ミャンマーサービスアパートメント事業、沖縄開発事業、アクアイグニス仙台事業など地域や日本の未来のためになる事業の柱を増やしていったんだよ。 

全部が一気に悪くなることはないからどれかが悪くなっても他でカバーすることができるんだ。 

 

こんな感じで日本もたくさんの事業に繋がる技術を持つことで、それがたくさんの柱になってどんなときでも日本を支えてくれると思うんだよね。 

全世界が日本のたくさんの技術を頼りにしてくれて、日本が惜しみなくそれらの技術を提供することができれば、全世界が日本のファンになるわけだし、いざってときに世界から助けられる存在に日本がなる。 

だからこそ俺自身も海外から深松組で働きに来てくれる人には惜しみなく技術を教えるし、「何かあった時に日本を頼むよ」って伝えるようにしているよ。 

 

未来の若者へ

 

---深松様のように若者が世界に視野を広げ、「日本の将来」を考えていくためには何が必要だと思いますか? 

 

若いうちにたくさんの失敗をして、決断力をつけることだと思う。 

 

20代のうちにたくさん失敗をしておけば、30代、50代になった時に物事を見極める力がついてくる。 

俺だって若い時にたくさんの失敗をしたから、世界という広い視野で物事を見極めることができるようになったしね。 

 

あとは考えることをやめないのも重要だよ。 

話に聞いたこととかを「へぇ~、大変だな」で終わらせるんじゃなくて、実際に現場に行って、見て、感じて考えることが大切だと思ってる。 

実際にそれがビジネスに繋がった例もあるしね。 

 

例えば深松組であれば、沖縄の開発事業がいい例だと思う。 

旅行会社の社長から「沖縄の建設業者の社長が2年前に建てたホテルの完成工事金がなかな か支払われず困ってます。オーナーがお金がないので、そのホテルを売るって言ってるんだけど」って話を聞いてね。

「じゃぁ、見るよ」って話になった時に急遽、「そのホテルは売れない」って言われてしまって、「その代わり宮古島の別のホテルなら売れるよ」って言ってくれたんだ。
それで俺は宮古島にそのホテルを見に行くことになったんだよ。
道中現地のタクシー運転手から「宮古島は景気がいい」って話も聞いてさ。

それでホテルに到着して、景色を見たときにその美しさに感動して、そのホテルの購入を決意したんだよね。
 

この後も宮古島の人気は年々上昇して、新たにホテルやマンションを建てることになって、今の沖縄開発事業に繋って行くことになるんだ。

 

その時思ったんだよ。自分で見て、聞いて、感じて、考えて、決断をしていくというのは本当に人生においても、事業においても必要なことだって。 

 

---最後に若者にメッセージをお願いします。 

 

人生は山あり、谷あり。 

ずっと右肩上がり、そんな人生はないし、そんな人を見たこともない。

だからこそ今よりもより良い日本を作るためにはどうしたらいいか、一緒に考えてもらいたいな。みなさんの祖父母が焼け野原だった日本を後世のために復興してくれたから今の住みやすい日本があるんです。 

 

みなさんの今の仕事でもいいですし、深松組で働きたいと思っている方には、自分がやっている仕事が「次の世代である子供達がより良い人生を送れることに繋がっているか」を考えてほしい。
東日本大震災の時、たくさんの人が助け合いの精神で東北を助けてくれました。もはや助け合いは日本人のDNAに刻まれているものだと思っています。 

このDNAを後世へ受け継いでいってほしい。 

 

みなさんが住んでいる家、通勤や通学で乗っている電車、蛇口をひねれば水が出る。これらの当たり前は建設業の人が作ってくれているからなんだ。 

 

でもね、災害が来ると、その当たり前が当たり前でなくなってしまうんだ。 

このまま建設業をやる人がいなくなってしまえば、災害が来た時にどうにもならなくなってしまうんだよ。 

 

持続可能な社会には必ず建設業が必要になってくるから、日本を支えるための大切な事業の一つと して捉えてほしいし、次の世代のために、建設業にぜひ興味を持ってほしいなと思っているよ。 

 

---深松様、貴重なお話をありがとうございました!

 

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