【ダシマス老舗・三義漆器店】会津で89年!変化し続けることで守る、伝統技術の力

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written by ダシマス編集部

創業30年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。

今回ご紹介するのは、福島県会津若松市で食器類の製造販売を行なっている三義漆器店。代々受け継いできた漆器塗りの技術と伝統を守りながら、新しいことにも挑戦し続けているという社長の曽根さんに、お話を伺いました。

株式会社三義漆器店 代表取締役 曽根佳弘さん

株式会社三義漆器店 代表取締役 曽根佳弘さん

1984年に入社し、専務取締役を経て2008年に3代目として代表取締役社長に就任。生まれ育った会津若松市の伝統文化を次世代に残しながら、新たな技術で世界に貢献することを志す。三義漆器店は1935年に初代の曽根義雄は会津塗の塗師として創業。2代目である会長の父は会津塗の伝統工芸士です。

執筆:大西マリコ

執筆:大西マリコ

取材やインタビューを中心に活躍するフリーライター。愛犬はシーズーのうどんちゃん。

個性を出して差別化。地域で唯一無二の存在に

 

――まずは、事業内容について教えてください。

福島県会津若松市で地元伝統の会津漆器をはじめ、電子レンジや食洗機に対応した樹脂製漆器など、デザイン性と機能性に優れた食器類の製造・販売を行っています。

 

――創業の経緯について教えてください。

1935(昭和10)年、津塗の塗師だった初代・曽根義雄が漆器に色を付ける「塗り屋」として三義漆器店を創業しました。その後、卸問屋を経て1965年(昭和40年)に法人化し、自社工場での一貫製造体制を構築しました。

漆器業界は伝統産業であると同時に、創業の地であるここ会津若松市は、漆器屋が軒を連ねる地域でもあります。つまり、創立当時からすでに老舗がひしめき合っており、個性を出さないと生き残れない時代だったので「お椀専門店」として始めたと聞いています。

従来の漆器というと、重箱や屠蘇器(とそき)、文庫といった角のあるものや箱型がメインでした。一方で、先代は盃(さかずき)やお椀といった丸い形の漆器を専門にした塗師だった。そのため、丸型の漆器に特化することで個性を出したのが始まりでした。

1983(昭和58)年頃には会津漆器が最盛期を迎え、総出荷額は200億円を超えたとも言われており、とくにギフト需要が盛んだったようです。うちは「お椀専門店」なので爆発的な需要はありませんでしたが、それが時代と共に形成が逆転し始めたんです。

というのも、重箱は年に1度くらいしか使わないけれど、お椀は家庭で毎日使用しますよね。文化や生活の変化とともに重箱などが売れなくなり、売上が低迷し始めた一方で、うちの売上は安定していきました。

 

 

――そんな伝統ある三義漆器店を2008年に3代目社長として引き継いだ曽根さん。子どもの頃から将来の社長として自覚があったのでしょうか?

私は長男で、子どもの頃から「大きくなったら3代目だからな」と周りに言われて育ってきました。しかし家業とはいえ、正直な話、漆器やお椀に全く興味がなかったんです(笑)。昔は、食器は女性が買うものだと思っていたし、家の食器棚の中も見たことがありませんでした。

 

――漆器やお椀に全く興味のなかった少年が、現在のように情熱と責任感をもって社長を務められるようになった背景にはどんな思いがあったのでしょうか。

まず、好きになること、興味をもつことかなと。ほら、好きなことって人に言われなくても積極的にやるじゃないですか。私は努力が苦手なので好きになったほうが性に合っていると思い、とにかく好きになる、興味をもつようにしました。

そうしているうちに知識がついてきて、みなさんと対等に話ができるようになってくる。すると面白くなってきて、さらに好きになる……というようにしてここまで来ました。

 

人と時代に向き合い続けることで繋がる次世代

――2024年で創業89年目を迎える三義漆器店。曽根さんから見て、老舗企業として長く続いてきた理由はどんなところにあると思いますか?

漆器の歴史は、遡ると約400年前から始まりました。江戸時代には豪華絢爛でお殿様しか扱えなかった物で、技術の限りを集めた日本の最先端産業でした。そして、それをやり続けた結果、今では伝統産業と言われるようになったわけです。

つまり、先端産業だったものを持続すれば伝統産業になるということ。今の先端産業だって、やり続ければ100年後には伝統産業と言われますよね。だから今やっていることを人に喜ばれるように、時代にマッチするように努力していけば、次の時代に繋がると信じています。

 

――老舗企業として、長く続けていくために会社として大切にしている価値観はありますか?

「変わり続けること」は大事だと思っています。先にお話したように、人に喜んでもらったり時代にマッチするようにしたりするためには、いつも同じというわけにはいきませんよね。うちも最初はお椀専門店でしたが、時代やライフスタイルに合わせてさまざまな器を製造してきました。

例えば、1993(平成5)年には日本で初めて食洗機や電子レンジ対応の漆器を開発。これは食洗機が出始めた際、「食事でよく使うのに、お椀は漆器で食洗機にかけられないから困る」という声を元につくりました。

また、2015(平成27)年には三義漆器店の代表作となった「ラクピカ」を発売。汚れも油も弾く撥水コートで、食器洗いの手間を軽減しただけでなく、洗浄時の水や食器用洗剤の使用量軽減にもつながると良いことづくし。使いやすくて環境にも優しい食器として、日本全国の販売店で人気商品になりました。

 

 

――老舗企業として大事にしているのは「変わり続けること」なのですね。続いて、曽根さんご自身が大事にしている価値観はありますか?

素直であること、感謝することを大事にしています。

私はよく「素直だね」と言われるのですが、良いと思ったことや学んだことはそのままやっちゃう。自分が「これはすごいな!」と感動したら、そういうふうになりたいと思うじゃないですか。“俺流”みたいなオリジナリティにこだわるような部分はないですね。

そして、何に対しても感謝すること。感謝の気持ちをもつというのは、人間として大事なことだと思います。役職があるとかお金持ちだとか、そんんことは関係ありません。むしろ、社長になったら尚更目に見える形で感謝をしないとだめだと思います。私自身も、朝誰よりも早く会社に来て、みなさんが気持ちよく出社できるように玄関掃除していますよ。言葉だけでなく、行動で示すことが大事だと思っています。

 

理解と努力で身に付けた、リーダーとしての器

 

――社是の「共に飛躍しましょう」の言葉通り、会社や働く方々を大切にしている様子が伝わってきます。リーダーシップ力の高さが伺えますが、経験から身に付けられたものですか?

リーダーというのは生まれもった資質ではなく、人が求めているものを理解して努力することで誰でもなれるものだと思います。

私自身も、最初からリーダーとしてうまくやれていたわけではありません。節目節目で大変なことがあり、とくに毎年10人以上社員が増えていった時期はとても大変でした。これまで通じていたことが通じなくなったと感じた時期があったんです。その理由としては、価値観や目標のベクトルがバラバラになったこと。いくら伝統があっても目指すべきものが不明瞭だと辞める人が増えてしまうということを、身をもって体験しましたね。

そこから得たのが、チームや組織というのは「同じ目標に向かってこそ力を発揮する」という考え方。社員が「自分の会社だ」と思ってくれれば会社は成長していくと思うんです。そのためにも、お互いに認め合い支え合って、価値観を共有して、みんなで同じ目標を目指せる会社でありたいです。

 

――貴重なお話をありがとうございました。最後に、これから100年、200年先を見据えた今後の展望について教えてください。

私は会津という地で生まれ育ち、会社を経営しています。だから会津もっと良くしていきたいという気持ちが強いです。

この地に家族がいて、仲間がいて、愛する人たちがいるということは地域を愛する心にも繋がっていると思うんですよね。その気持ちをパワーに変えて、私を含め会津の人たちが誇れるような地域にしていきたいです。

そのための仕事はもちろん、儲からないことでも地域や住民のためになることなら何でもやっていきたいと思っています。

 

 

株式会社三義漆器店について

・ホームページ: https://www.owanya.com/

 

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