「理論より実践を」富山の偉人の意志を受け継ぎ、タクシー業界の礎を築いた半生を振り返る。

レッド

written by 川西里奈

政治家として農地改革を始め日中友好の架け橋を築き、富山県人でその名を知らない人はいないという、松村謙三。かつてその秘書を務めたという上埜健太郎さんは、『新星自動車株式会社』の代表として松村謙三の精神、そして郷土を愛する思いを引き継いできました。

日本のタクシー業界を牽引し、新星自動車株式会社の会長となった上埜さんが、その半生を振り返って、今の時代に伝えたいこととは一体どんなことでしょうか。

上埜健太郎(うえのけんたろう)

上埜健太郎(うえのけんたろう)

富山県小矢部市出身。偶然にも同郷であった富山県出身の政治家、松村謙三(1883-1971)の秘書を務める。没後、東京中野に本社をおくタクシー会社『新星自動車株式会社』の後継者となる。

後世に伝え続ける松村謙三の言葉

ーーー新星自動車の社長になったのにはどんな経緯があったのでしょう?

 

上埜健太郎(以下、上埜):新星自動車は、父の上埜保之が、昭和28年に創業しました。来年で創立70周年を迎えます。私は上埜家の長男として生まれましたから、物心ついたときから、父の会社を継ぐのが宿命だと考えていました。

 

しかし、私の性格上、いきなり自分が働いたこともない会社の社長になるというのは嫌だったんですね。なのでまずは3年間、運転手として実践で経験を積みました。

 

ーーーそのように考えるようになったのは何かきっかけがあったのでしょうか?

 

上埜:私が秘書を務めていた松村謙三先生の影響は大きいですね。松村先生は富山県の福光町(現在の南砺市)出身で、新聞記者として活躍した後に、国会議員として農地改革を始め、日中友好の架け橋としても活躍された有名な政治家です。

 

強く印象に残っているのは「老侯曰く昔、孔子は一を聞いて十を知る(早稲田大学創設者、大隈重信の言葉)といわれたが、新聞記者になるためには、ーを聞いても、百や二百も知らなければだめだ。つまり、新聞記者には記憶力(情報力)と推理力が必要だ」と講演会などでよくお話をされていたことです。

 

この言葉は私の人生にも、会社経営においても大いに役立てております。社会の一員としての存在意義を果たすためにはさらに、実行力が必要です。先生の言葉からヒントを得て、社員には、「順風満帆に見えていても歪みは必ずある。現状の欠点を探し、その解決策をひとつでも多く考えて、それを実行することが大事だ」と伝えていました。

 

社員は家族です。人間は十人十色だから、それぞれに合った指導をして、叱責するとしても愛情を持ってすること。そうすれば運転手もみんなついてくる、と信じてやっています。

 

ーーー新星自動車が今日まで発展してきた背景には、会長の社員さんに対する熱い思いがあったのですね。

世の中に需要のある業態を追求

ーーータクシー業界のこれからについて、どのようにお考えでしょうか?

 

上埜:コロナの影響もありますし、運転手不足という状況もあって、タクシー業界そのものはなかなか厳しいです。私が考えているのは、今後の世の中にとって需要のある業態で仕事をしていくことです。たとえば、今はコロナで旅行やツアーなどへの参加は自粛している人も多いですが、タクシーのツアーであれば家族など少人数で貸し切ることができます。

 

日光や箱根や東京の観光地を半日かけて回るツアーも実施していて、バスとは異なりお客様の細かい要望にもお応えすることができるので好評いただいていますね。一般的なツアーだと時間に縛られていたりしますが、ゆっくり見たい場所は多めに時間をとったり、気になったお店に寄ったりと自由に巡れるのも魅力のひとつです。

▲タクシー1台につき5人まで利用可能。出発の際は自宅まで迎えが来る。

 

ーーータクシー一台分の料金しかかからないのは、とってもお得感がありますね!地元富山へはどういった思いを持っていますか?

 

上埜:東京へ出てきて長いですが、富山のことを忘れたことはありません。それもやはり、松村先生とのご縁があるが故ですね。先生は福光町会議員時代には、町に図書館をつくったり、県立福光高等女学校(現在の県立南砺福光高校)の創設をしました。富山県議会議員時代には、小矢部川を上流に位置する「刀利ダム」の建設などを通して富山に貢献をされてきました。

 

私も松村先生と同じように故郷を大切に思っています。今でも毎年墓参りで富山に帰ります。地元では先生のことを知らない人はいませんから、先生と関わりのある人達のところへ挨拶に回って、故郷の味を堪能して、温泉にも入るのがいつも楽しみですよ。富山に生まれた幸せを感じますね。最近では若い人たちの言葉が標準語になってしまったのは少し寂しいですが(笑)。

 

平成28年にはとてもうれしいことがありました。東京富山県人会連合会100周年記念の『懇親のつどい』で第53回目の『ふるさと賞』を受賞させていただいたんです。故郷に対して貢献をしたということで、落語家の立川志の輔さんとショウワノート会長の片岸茂さんといっしょに表彰されたのは、大変光栄なことでしたね。

“人”という財産が、人生を豊かにする

ーーー若い世代へ何かメッセージがあればお願いします。

 

上埜:私は今81歳ですけどね、ここまで生きてこれたのは“人”という財産に恵まれたからです。学生の頃のつながりで弁護士や税理士とかいろいろな職業の友達が年齢問わずいて、今でも携帯の電話帳には1400人もの登録があります。そういった人たちに支えられてここまでやってこれました。友を持つことはお金を持つことよりも、人生を豊かにしてくれます。

 

そして一番大切なのは、理論より実践が先ということ。大学で政治や経済の勉強をしたことよりも、松村先生の秘書を務めたことは、“生きた勉強”となり、その後の人生の糧となりました。

 

社会がこうあるべきという議論をするのも大事ですが、それと同時にさまざまな経験をすることで、時代を先読みする力も養われます。予想外の変化が続く世の中で、どんな商売であれば安定してやりがいを感じられるか、それを考えなくてはなりません。若い方にはぜひ、まずは実践をしてみて、そこから理論的に考えて未来を築いていってほしいですね。

 

ーーー上埜さん、ありがとうございました!

 

取材を終えて

「理論よりもまず実践を」という上埜会長のメッセージは、ネットが流通した私たちの日常において、あれこれと調べてできない理由を探すよりも、「まずは行動すべし!」と言われているようで、背中を押されるような感覚がありました。人生というのは出会いと経験によって、その豊かさが大きく変わってくるのだということを改めて実感しました。

▼『新星自動車』についてはこちら!

https://www.sinsei-t.jp/

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