【ダシマス老舗・豊島屋(てしまや)】地元に愛され続けて300年。時代の変化に柔軟に対応してきたからこそ今がある

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written by ダシマス編集部

創業100年以上の老舗企業に焦点を当てる本企画。持続的な成長と成功をおさめ、時代をまたぎ社会に貢献してきた歴史を紐解き、その長い期間によって培われた文化や知見から、多くの人に気づきとインスピレーションを与えることを目指しています。

岡山エリアから紹介するのは全部で5社。本記事では岡山県倉敷市の港町、玉島に約300年前から店を構える株式会社豊島屋(以下:豊島屋)の代表取締役社長である大野豊(おおの ゆたか)さんにご登場いただきます。同社は伝統の味はもちろん、時代の流れを汲んだ調味料を製造し続けながら今まで経営を続けてきました。

大野社長は「儲けるのが下手」と謙遜しつつも、話の端々に、商品開発や売り出す際の確固たる信念と情熱を感じました。創業してから地元に愛され続けた豊島屋の、商品に対する想いや開発の際のこだわり、今後の展望など語っていただきました。

代表取締役社長 大野 豊(おおの ゆたか)さん

代表取締役社長 大野 豊(おおの ゆたか)さん

1948年(昭和23年)、先代社長 大野千春の長男として、倉敷市玉島に生まれる。玉島小、金光学園中・高、東京農業大学醸造学科卒。中学は軟式野球、高校・大学ではバスケットボールに汗を流した。大学卒業後の1971年(昭和46年)豊島屋に入社。約10年営業をした後、新製品開発や経営全般に従事し、1990年(平成2年)より現職。趣味は写真撮影やスポーツ番組の観戦など。

取材:大久保 崇

取材:大久保 崇

『ダシマス』ディレクター。2020年10月フリーランスのライターとして独立。2023年1月に法人化し合同会社たかしおを設立。“社会を変えうる事業を加速させ、世の中に貢献する”をミッションとし、採用広報やサービス導入事例など、企業の記事コンテンツの制作を支援する。

執筆:山本 麻友香

執筆:山本 麻友香

元ハウスメーカー勤務の実績やブログ執筆経験を活かし、フリーランスライターとして活動中。2017年生まれの1人息子がいる母でもある。好きなことは、スポーツをすること、見ること、食べること、寝ること。

利用者を大事にすることで見えてくる。時代によって変化する”売れる”商品

――貴社の歴史や創業の経緯を教えてください。

1720年(享保5年)、港町である玉島で綿や海産物の問屋として「豊島屋」を創業しました。その後、醤油の醸造を始めて1890年(明治23年)に醤油製造販売専業となり、1914年(大正3年)に酢の製造、1933年(昭和8年)にはソースの製造をはじめて現在まで続く豊島屋ができたのです。

昭和初期にはソースを使用する料理の種類もあまりなく、取り扱っている企業も少なかったため、中四国の中でもソースの製造を始めたのは珍しかったと思います。

 

――ずっと調味料に絞って経営を続けてきたのでしょうか。

豊島屋の商品は、スーパーがなかった昔から多数の調味料が並ぶ大きなスーパーがある現代に至るまで、地元に愛されている食品の1つとして生きています。それを継続させたいなと。伸びたり下がったりしながら、どうにか続けていますよ。

 

――ご当地ソースとして、地元をはじめ愛されていているのですね。

商品によっては業務用あるいは加工食品向けが6割くらい、家庭用が4割くらいの比率を占めているものもあります。弊社より10倍くらい大きい大手企業でも9割が業務用です。そんな中、地方で家庭用の商品が4割も売れているのはありがたいことで、大事にしなければいけないなと感じています。

――創業してから現在に至るまで、豊島屋が変わらずに存続してこれたのはなぜだと考えられますか。

変わっていく時代の流れを、しっかり汲んできたことが大きいかもしれません。例えば、昔は当たり前のように使われていた基礎調味料も、今は日常が忙しくなり惣菜が売れるようになってから料理をしない人も増えて使用量が減っています。シンプルな濃口醤油と薄口醤油だけで勝負できる時代ではない。だから「簡単、便利、楽しい」がキーワードの『かけて酢まいる』のような、その時代に合った商品を開発してきました。

「簡単、便利、楽しい」のキーワードに「おいしい」がないのは、「おいしい」ことは当たり前だからです。そもそもおいしくなければ、自然に淘汰されていきますから。

 

――時代の変化とともに、調味料に必要とされるものが変わってきた。

醤油ならば、ひと家族で使う量が1ヶ月あたりで昔の3分の1程度に減っています。それが何に代わったかと言えば、つゆ、たれ、だし醤油などさまざまです。

また、変わってきたのは一般家庭だけでなく、おかずを売る惣菜屋などの店舗も同じです。「料理を作りやすい」「コストダウンできる」「味の均一化が図れる」など、さまざまな特徴を持った調味液が増えました。近年では家庭用に留まらず、業務用のものでも簡単・便利な調味液の売り上げが伸びています。

 

――大々的にCMを売たずとも、地元で一定のシェアが取れてきた理由についてどうお考えでしょうか。

例えば、『かけて酢まいる』でいえば、実際に使う方の声を集めてその声を活かしました。

新発売前に多くの人に味利きしていただき、その後、味の評価・ご使用方法と料理名・希望容器サイズ・価格等をアンケート用紙に記入していただきました。現在の『かけて酢まいる』のパンフレットには、そのアンケートによる数多くの使用例が書かれています。一気には伸びていかないけれど、調味料の使い方も一緒に認知されていき、それから徐々に伸びていきました。

 

――実際に使う方の声は強いと。

はい。昔うどん屋向けに出していた『かけ醤油』という商品を、小学校の運動会のうどんコーナーで使って出していました。そこで評判が良くて、PTAの方から家庭用も出してほしいという声があり、家庭向けの『料亭だし』が生まれています。これも利用者の声から生まれただけあって、ヒット商品になりましたね。

失敗から学ぶ。商品を開発・販売するときの心構え

――商品を開発するときに大事にしている考え方や作り方のポリシーについて聞かせてください。

弊社の主力製品は、甘味・辛味・酸味のバランスが良い「お好み焼ソース」ですが、よりこだわった味の新製品を商品開発している時、柑橘果汁・かきエキスを隠し味として使用して、キレの出るソースを作ろうと考えたんです。そのときに、あるビールのイメージで「キレ=ドライ」という印象があると感じて、ネーミングを「お好みDRY」にしました。

ある物産展で初めて販売したときに味利きしてもらい、お客様からは高評価だったのですが、その後、小売店や問屋への売り込みの際は「ドライ」の意味がよく分からないという理由で、なかなか取引できませんでした。そこでネーミングもラベルも用途が一目で分かるようにと、「コロッケ&フライ ソース」に変え、スーパーでも置いてもらえるようになりました。大手が「ドライ」で大ヒットしたからと言って、安易にマネするものではないと痛感しました。

 

――商品の開発や販売で、売れるために工夫されていることはありますか。

私が社長になった頃、あるビジネススクールで2つのことを学びました。

1つ目は目立つ・理解できる・好感持てるという『メリコの法則』に則ること。そのスクールで、自社の商品を持っていって見せたら「これは売れません」とはっきり言われました。スーパーで売れるようにするには、「人が歩いて手を差し伸べる3秒の間にその商品は何なのかわからなければいけない」のに、小さい字で用途がすぐにわからないからということです。それを知ってからは『メリコの法則』を考えながら作っています。

2つ目は、どの商品を世に出すかの選び方。それまでは、数種類の試作品を従業員や家族に食べてもらい、「どれがおいしいか」という評価を参考に決めていました。しかし、その試作品がすべて良くなくても、どれかひとつが選ばれるということではヒット商品は生まれません。試作品を味利きしてもらい、変なクセがあったり、悪い点が見つかったら消去しながら、ひとつに絞り込むことが大事だったんです。試作品すべてが悪ければ総入れ替えする。そうすることが、ヒット商品につながる秘訣でした。

――学ばれたことを実践していったのですね。

新製品を作る際もだいぶ慎重になりましたよ。昔は何でもとりあえずやってみようという気持ちでやっていましたので。こうした考えのもと、生まれたのが『かけて酢まいる』です。人の声を聞いて、何に使えるかをアピールしながら売らないと大手には勝てない。そこをしっかりと意識しながら作りました。

まだヒット商品のランクには入っていないですけど、徐々に販売数は伸びています。

 

――これまで経営をされてきた中で、もっとも会社として危なかった時期はいつでしょうか。

いろいろありましたが、原材料の起源原料は外国からの輸入品が多く、円安もあってどんどん価格が高騰し、値上げをしても追いつかない今が一番厳しい時期です。それは弊社に限らず、食堂や食品を扱っているところはどこも同じだと思います。

――原材料の高騰など、自分たちの努力だけでは対策が難しいことに対してどのような対策をされているのでしょうか。

原材料費・光熱費・運送費等の高騰は、弊社だけでなく、業務用(飲食店や加工食品など)関連のお店でも、大変な状況になっている昨今、コストダウンや省力化につながる調味液を開発・提案していくことが、生きる道なのかもしれません。

「産業観光」に「つるし雛飾り」――様々な活動で地域に貢献

――産業観光というものに取り組まれているとお聞きしました。

はい。玉島にある会社を巡る産業観光を商工会議所の観光アドバイザーさんと企画して平成17年からやっています。弊社では、工場見学の前に色々試食をしてもらったり、豊島屋の沿革、ソースの歴史などの話を聞いてもらったりしています。

また、新型コロナウイルスが流行する前には、福島県いわき市で行われている『つるし雛飾り』というイベントをここで毎年開催していたんです。2011年3月の東日本大震災のときに、津波で針も生地も全部流されても、翌年、頑張って伝統の『つるし雛飾り』をしている姿を偶然テレビを見て知ったんです。玉島と同じ港町で作っている姿に触発され、福島を応援するという意味も込めて、倉敷全体のおひな祭りの期間につるし雛を飾らせてくださいとお願いしました。

――それは素敵な取り組みですね。福島の人も地元の人も喜ばれたことだと思います。最後にこの記事をご覧になる方へメッセージをお願いします。

弊社の強みは地元に受け入れられるレシピを持っていることです。自社独自の強みを持っているから、やり方によっては大手にも対抗していける。製品力を活かして、今後も頑張っていきたいという気持ちです。

また、我が社が扱う食品は口にするものなので、安心安全が一番。製造、配達、営業、事務、どの部署でも、きちんと責任を持って役割を全うします。一緒に働きたいと思っていただける人がいれば、こうした責任を持ち、これからも地元の人に愛され喜ばれる商品を一緒になって作っていけたらうれしいですね。

豊島屋の詳細はこちらから

◆HP:https://teshimaya.shop-pro.jp/

 

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