食×体験で楽しむ!日本橋とやま館「富山はま作」から伝える富山の魅力

ブルー

written by 大西マリコ

2016年6月にオープンし、今年で7年目を迎える日本橋とやま館。首都圏情報発信拠点として、富山の特産品や銘品が揃ったショップや交流・イベントスペースなど、多角的に富山の魅力をアピールする場として親しまれています。

なかでも人気なのが、本格和食レストラン「富山はま作」です。アンテナショップにあるからとあなどるなかれ!富山直送の新鮮な食材を使用し、本格的な和食を味わえる同店は富山県出身者はもちろんのことグルメな人々をも唸らせ、連日満員の盛況ぶりです。 

料理長は、この道35年以上のベテラン板前・浜守淳さん。自身も富山県出身であることから、東銀座で17年続けた店を畳んで「富山はま作」代表料理長に就任しました。そんな並々ならぬ覚悟と、富山愛に満ちた浜守さんにお話を伺いました。 

インタビュイー:浜守淳さん

インタビュイー:浜守淳さん

日本橋とやま館の和食レストラン「富山はま作」代表料理長。1970年、新湊市(現・射水市) 生まれ。新湊高校出身。 1989年に上京し、赤坂の料亭で氷見市出身の親方に師事。新宿の和食料理屋を経て独立後、東銀座で17年に渡り富山の魚を出す割烹「新湊はま作」を経営。2016年より現職に就き、日本橋から食を通して富山の魅力発信に情熱を注いでいる。

富山の食の恵みと、料理人の父
必然だった料理人への道 

 

――― まずは、浜守さんが「富山はま作」の料理長に就任した経緯から教えてください。

 

私の実家は料理屋で、父親は宇奈月温泉の「延楽」に昭和天皇が泊まられた時の料理番の経験もあります。そんなすごい親父の背中を見て育ったから、自然に自分も料理の道に進みたいと思うようになっていました。 

 

高校を卒業して、料理人修行をして実家に戻るつもりで上京。親父の兄弟子にあたる氷見出身の親方の赤坂の料亭で、まずは3年間修行しました。親方は料理界で「先生」と呼ばれるほどすごい方で、仕事は教えてくれなかったけど「とにかくうまいものを作れ」という精神を学ばせてくれました。 

 

その後、「他の店も見てみたい」という思いから新宿の割烹料理屋さんに7年。人気店だったのですが、赤坂の親方が言う「うまいもの」とも自分がやりたい富山の料理を広めることとも違うなと感じるようになって独立しました。 

 

 

――― 上京し、料理人として10年。「富山はま作」の前身とも言うべき「新湊はま作」が誕生したのですね。 

 

本当は実家に帰るか悩んだのですが、私は当時29歳で親父もまだ若かった。親父も職人だから頑固で、帰っても多分うまくいかないだろうと思い、東京で自分の店をやってみることにしたんです。 

 

色々な場所を探した結果、出店したのは東銀座。「新湊はま作」の店名でやっていたので、開店から2年目くらいまでは新湊の方がたくさん来てくれました。でも、3年目から富山のお客さんが減り、経営的には壁を感じていましたね。それでもひたむきに頑張って、5~6年目くらいから富山関係の方に連れて来られて「この店が気に入ったから」「富山の食材って美味しいんだね」と言って何度も来てくださる方が増え、その方たちがまた他の方を連れてきてくださり……と繁盛し、おかげさまで17年間お店を続けることができました。 

 

 

――― 繁盛していた「新湊はま作」を畳み、現在の「富山はま作」の料理長になったのはどんな背景や思いがあったのでしょうか?

 

東京の富山県人会で、日本橋とやま館ができる話を聞きました。アンテナショップとして本格和食レストランも入るということで「すごいですね」と話していて。その時はまさか自分がやるとは思っていなかったのですが、コンセプトを聞いた時に自分が東銀座に店を出した時の思いとマッチしたんです。食を通して富山の魅力を広めたい、富山のために何かしたいという気持ちと。 

 

すごく悩んだのですが「富山県出身者で、本当の富山を知っている人間がやらなければ誰がやるんだ」と、地元に恩を返す意味でも立候補しました。富山県人は“富山愛”が強い人ばかり。全国の県人会の中でも、富山県人会ほど活発な県は少ないというふうに聞いています(笑)。どうしてかは分からないですが、これはもうDNAに刻まれているんでしょうね。 

 

 

春夏秋冬いつ訪れても美味い!
着実に広がる富山の素晴らしさ 

 

――― 2023年で7年目を迎える日本橋とやま館。同様に、「富山はま作」も7年目になるわけですが、日々どんな思いで調理をされていますか?

 

日本橋とやま館は、首都圏における富山県へのファーストコンタクトの場です。正直なところ、富山は全国的に見てあまり知名度が高い県だとは言えないので、この場所が少しでも富山に興味を持ってもらったり足を運んでもらったりするきっかけになれば嬉しいなという気持ちで日々精進しています。 

 

もちろん、首都圏で一番美味しい富山食材、富山料理を食べられる場所でありたいと思い、そこを目指しています。「富山はま作」は単なるアンテナショップのイートインコーナーではなく、本格和食レストランです。新湊の港町で美味いものを食べて育ち、赤坂の料亭で「とにかくうまいものを作れ」という精神を学び、35年の板前経験がある私がいる。だからこれに恥じない“美味いレベル”を自分の中でイメージしてやっているつもりです。 

 

 

――― 具体的には、「富山はま作」を通して富山のどんなところを知ってほしいですか?

 

やはり食べ物の美味しさ、それから食材や食文化のレベルの高さですね。よく言われるのは「富山県の四季は食材で巡る」と。春ホタルイカ、夏シロエビ、秋がカニで冬がブリ。だから自分が食べたい食材で富山に来る季節を選んでくださいと。 

 

とくに魚に関しては、どこにも負けないくらい美味しいと信じています。神秘の海「富山湾」と言われるだけのことはあり、とにかく素材が違うんです。富山県の食材を信じているので、常に素材の良さを生かすことに集中して、うまいものを作ろうと心掛けています。 

 

最近嬉しかったのは、富山のことを全然知らなかったという方が、「富山はま作」で初めて寒ぶりや氷見うどんを食べたそうです。それで「ここで食べたぶりや、氷見うどんが美味しかったから、この間氷見に行ってきました」と。本当に嬉しかったですし、ありがたいです。 

 

「富山はま作」をきっかけに富山に興味を持っていただいて、さらに実際に足を運んでくださる。こういった循環が生まれてくれれば、「富山はま作」や日本橋とやま館の存在意義は大きくなるし、まさにそこが目指すべきところだと思っています。 

 

430年前から立山町の瀬戸地区で作陶される、富山を代表する越中瀬戸焼の器。富山県の伝統工芸品にも指定されている 

 

 

――― 「富山はま作」では、富山の魅力を伝える食のイベントも開催されていますよね。 

 

日本橋とやま館の中でイベントディナーは、オープンした時から行っています。テーマは毎回違っていて、例えばカニやぶりなどをテーマにイベント特別コースに富山の地酒をペアリングしてお出ししています。 

 

最近はファンやリピーターも増えてきて、おかげさまで大人気イベントになってきました。料理が美味しいのはもちろんですが、ただ食べるだけではなく、そのテーマに対する背景や思いをしっかり感じられることが人気の理由のひとつだと思います。例えばブリの時は氷見から、カニの時は魚津から『オンライン』中継して、現地からリアルな風土の魅力や生産者の熱のこもったお話を伝えてもらっています。 

 

 

――― 食をきっかけに、その背景や文化なども幅広く知れる機会になっているのですね。体験を通すことでより深く魅力が伝わりそうです。 

 

そうなんです!「富山はま作」は、食べて飲んで富山を体験できるレストランです。 

 

例えば、「富山はま作」で使用している酒器は富山の「能作」のものです。錫(すず) を素材に作られていて、とても柔らかいのが特長です。手で簡単に形を変えられるくらい柔らかいんですよ。 

 

富山県高岡市で1916年に創業した鋳物メーカー 株式会社能作による錫(すず)100%の小物入れ「曲がるKAGO」と酒器「ぐい呑」。通常は硬度を持たせるため他金属を加え行う錫の加工だが、あえて錫100%の加工に挑んだという商品。「曲がるのなら曲げて使える食器をつくろう」という逆転の発想によって能作を代表する数々の錫製品を生み出した。 

 

錫(すず)という素材は日本酒と相性が良くて、一気にキュッと冷えるし、口当たりがまろやかになる。富山に関係なく、日本酒を出しているお店は錫(すず)の酒器をあえて採用する料理屋さんも多いです。 

 

能作さんは昔、仏具を作られていました。仏具を作るには錫(すず)は柔らか過ぎて向かないというところから、それを逆手に取ってこういったテーブルウェアを作るようになったそうです。 

 

富山にはこういった素晴らしい工芸品や職人さんの技術がたくさんありますので、「富山はま作」を通して食と共に優れた工芸品や歴史・文化も同時に広めていきたいと思っています。 

 

 

▼日本橋とやま館「富山はま作」についてはこちら! 

https://toyamakan.jp/restaurant 

 

この記事をシェアしよう!

  • hatena