今やらなきゃ死ぬ。(株)花和産業3代目社長が起こしたチーム改革

レッド

written by 田野百萌佳

株式会社花和産業

神奈川県・横須賀で売上高10億円の土木建設業を営む(株)花和産業。今年3月、3代目の永井啓太さんが社長就任。高齢化、人材不足の課題を抱える土木業界で、5年間で社内の平均年齢を20歳若返らせるまでに組織改革。しかし、学生時代は家業から「逃げ」一度は地元・横須賀を出たとのこと。そんな啓太さんが横須賀へ戻り家業を継いだ理由とは...?

(株)花和産業 代表取締役 永井啓太さん

横浜高校卒業後、2002年に同志社大学へ進学し哲学を専攻。2006年に関西の商社へ就職。その後、家業の状況を知り会社を継ぐことを決意し、 2011年に横浜の建設会社で修行後、2014年(株)花和産業入社。独学で給与や待遇を改革。2025年3月に代表就任。趣味はブラジリアン柔術。"土木の責任請負人"

地元から逃げて感じた、カルチャーショック

ーーお祖父様、お父様と代々経営されてきた花和産業。啓太さんもいつかは会社を継ごうと考えていましたか?

全く考えてなかったです。だって、家業を継ぐのが嫌で横須賀から逃げましたから。 私が子どもの頃は父も忙しかったから、親子で仕事の話をする時間もあまりなくて。お正月に花和産業の社員さんやお取引先、お客さんが実家に集まってどんちゃん騒ぎするところはよく目にしてたんですけど、どんな会社なのかまでは知らなかった。経営者だからか、両親もいつも地域での見られ方を気にしている感じはあって。そんな環境が息苦しくて、京都の大学に進学しました。実家を継げとは言われていなかったけど、地元から逃げたんです。

――学生時代になぜ哲学を??

大学受験の年に9.11があったんですよ。元々はやりたいことがなくて、法学部でも何でもいいや、と思っていた時にテロが起きて。四六時中ずっと、異様な光景がテレビのニュースで流れてるんです。映画かな?と思うくらい。「なんだこりゃ」って気になって調べると、宗教が関連していると。それで一気に倫理・哲学専攻に転向することにしました。もともと感情に流されにくいタイプだったせいか、大学の哲学ゼミの先生からは「おまえは達観しとる」と驚かれたほどです。

ーー地元を出て京都に行ってみて、どうでしたか?

めちゃめちゃ良かったですよ。関西の”文化”に影響されたんです。細かいルールとか人の目を気にせず生活してる人たちとたくさん出会って。関西に行って初めて、「いじられることがオイシイ」という感覚を知ったんです。

自分の価値観がはっきり変わったと思います。もともと繊細で真面目で「長男として我慢しなきゃ」という意識がずっとあったんです。「こうしなきゃ」とかどうでもいいな、と思えるようになったら、「あれ?これすごく楽じゃん!」って。

ーーだからそのまま関西の商社に就職されたんですね。

はい、でも本当はライターになりたかったんですよ。もっとどっぷり関西のカルチャーに浸りたくて。大阪・京都のローカルなタウン誌の編集社に就職が決まったんですけど、入社前にその会社がまさかの倒産。たまたま、とある商社のルート営業として拾ってもらったんです。

「お世話になった人は絶対に裏切らない」2ヶ月で組織改革

ーーそこから、どんな経緯で地元に戻ってきたのですか?

商社時代、馴れ合いで売上が立つ当時のルート営業方法がつまらなくて。もっと刺激的な仕事がしたいと思っていました。そんな矢先、父から連絡があったんです。「会社を畳もうと思う」と。詳しくは聞いてなかったですけど、真っ先に思ったのは「社員さんのことどうするんだろう?」ということ。就職先が見つかったばかりの若者はもちろんだけど、ある程度自分のポジションを築いた中堅・ベテランはなおさら、今後再就職先を見つけろって言うのは辛いですよね。「それはダメなんじゃないの」と。「畳むくらいならやるよ」って、横須賀に帰ってきました。久里浜駅についた時に久々に感じた潮の香りに「帰ってきちゃったな...」って複雑な気持ちになりましたね。(笑)

あと、祖父が法人化したんですよ、この会社。僕おじいちゃんっ子で、可愛がってもらったんです。だから、祖父がやった会社を畳むのが嫌だった、というのも大きかったですね。祖父と仕事の話もしてみたかったんですけど、その前に亡くなっちゃって。この業界に入った時に色んな方から言われたのが「おじいちゃんには世話になった」って。いい加減だけど人情溢れる人で、困った時には助ける。僕も「お世話になった人は絶対に裏切らない」ところを受け継いで行こうと思ったんです。

――相当な覚悟でこの業界に入られたと思いますが、当時の状況はどうでしたか?

横浜の建設会社で修行4年間して花和産業に入社したのですが、修行先の建設会社で信じられない働き方を見たんです。まず、土日働いてるってどういうこと?現場監督は朝5時半に出社して、会社で寝てそのまま出社する人もいる。その中で仕事を覚えなきゃいけないし、できなかったら怒られる。「ブラックとはこういうことか」という恐怖の中働いていました。一方、4年後に花和産業に入社すると、労働時間自体は前職より短く家にもちゃんと帰れるので楽に感じたんです。ただ、社内の雰囲気が暗かった。現場で働く社員さんの頑張りが報われず、結果責任感も生まれない悪循環が出来上がってて。子どもの時に見ていた”どんちゃん騒ぎ”しか知らなかったので、率直に「どうなってんのこれ!?」と感じました。

——実際に、どんなことがありましたか?

入社してしばらく経って、当時20歳ぐらいの職人の子に言われたんです。「この会社には未来がないから辞めます」って。すごいショックでしたよ。その後も、会社の経営難で仕事に見合った給与が出せずに辞職が相次いで。仕事も受けられなくなって、施主さんに頭下げて時期を調整してもらって。これはダメだと、そこから2ヶ月くらいで、社労士さんと相談しながら給与・待遇を変えて行きました。

――組織改革についてはどのように学んだのですか?

最初は調べ方すらわからなかったです。日経ビジネスとか、とにかく参考になる本を読んで、スクラップブックにまとめるとこから始めました。家族経営の会社の事例を1個1個「これは使える」「あれはダメだ」って。1万5000円くらいするバカみたいに高い本も、自己投資だと思ってAmazonで買って。大学時代に学んでいたような哲学、行動心理の観点から「人を動かす」ことも役に立ちましたね。建設業界に先駆けて、運送業界では「働き方改革」による法改正を受けて、国土交通省主導でドライバーの労働環境改善が進みました。そちらの動き方も参考に、日給制から月給制へ、週休1日から週休2日(年間休日122日)へ、仕組みを整えて行きました。

――やってみて、社内の反応はどうでしたか?

これが、一筋縄では済まないんです。役員幹部だけでなく社員に「よくわからないから日給制の方がいい」「奥さんに説明するのがめんどくさい」と言われることもあって。同業他社の方からも「勝手なことするな」と言われることもありました。みんな本当は必要性を感じているけど、やり方がわからない。やっちゃいけない。できるわけない。それくらい土木の会社では事例がなく、タブーだったんですよ。そんな中で1社が先回りして改革を先行したら、自分たちが不利になってしまうという。

でもまずは働き方を安定させないと、会社は潰れちゃう。建設業も滅亡してしまう。今、建設業は転換期なんです。大体私の父の代かもっと上が創業した会社が多くて、その創業者や当時第一線で働いてきた現場の作業員がどんどん引退していく時代。父だけじゃなく、会社を畳もうと考える人は多いんですよね。でも、社内で働いている人のことを考えたらやっぱり次に繋いでいくべきじゃないですか。

「今やらなきゃ死ぬ」という覚悟で進めました。5年経ってみて仕組みは80%くらい整い切ったかな。あとの20%は都度社内の様子を見て改善し続けていくんだと思います。

 

「今、すっげえ楽しい」目的は人の成長

―― 今年の3月に代表に就任してからは、1ヶ月どうお過ごしでしたか?

実は、就任の朝は会社にいませんでした。夜勤の現場に行っていて。切り替える間もなく、1週間くらい経って社員に「ちょっといい加減、就任挨拶してよ」と言われて「あ、いけない、そうだった」って。(笑)でも今、すっげえ楽しいです。だって、人がいなくて困ってた時期を抜け出して、売上が上がってきたんですよ。そこに付随して、自分は営業的な動きが増えたかな。この働き方を継続して利益を上げ続けるためにも、難しい案件の獲得に挑んでいます。他の会社が手を出したがらない特殊な工法が求められる現場に若手メンバーと一緒に行って、苦戦しながらもやりきって帰ってくる。結果、元請けさんも大満足で、「花和産業っていうやべえ会社がある」って言ってもらうことも出てきて。

——かっこいい...!社員が働きやすいように働き方を整えることで、決してぬるくなるのではなく、俄然「もっと頑張って稼ぐぞ!」というチーム感が出てきていますね。

もともと僕の原動力は嫉妬と怒りでした。うまく言っている他社への嫉妬と、働く人が報われない業界への怒り。それをひっくり返してやる!って、それだけで。でも自分が社長を担うからには自社の利益と社員だけは絶対守るっていう前向きな意思が生まれた。今これから面白いフェーズなんですよね。

――すごいスピードで改革してきた啓太さんですが、今後の目標はありますか?

これはね、社員にも聞かれたんですよ。「売上を倍にするのが目標か」って。でも、僕は売上は目標にしないって言いました。ここからはまず、3年後に人が育ってることが大事。結果それが仕事を生み利益につながるから。売上じゃなくて、人の成長を目的にしたいんです。

――素敵です。では最後に、今啓太さんが花和産業を継承する中で大事にしていきたいことを教えてください。

もう、1個だけですよ。僕らの社員をどうするか。彼らが家族を持って家を買って、子供も大学に行かせられること。ちょっと前はできなかったけど、ここ何年か立て続けに「子どもが大学生になったよ」って声が上がって。すごい嬉しいですよね。みんな地元の子なので、地元の友達とあった時に「自分は給料安いし、休みもない」って惨めな気持ちにさせたくない。「花和産業で働いている」とちょっと自慢したくなる会社であり続ける。それだけなんですよ。

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